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伯父の介護 [介護]

以前にも度々登場している江戸っ子偏屈親父の自由人の伯父。

介護サービスでなんとか生活していた独居老人でしたが、とうとう数回にわたる火の不始末で(軽いもの)ヘルパーさんもお手上げ、そして入院も数回、退院時一人で生活は無理という診断で老健に入所することになりました。

子どものいない伯父は昔から子どもは好きではなく、私も子どもの頃は怖いおじさんという印象。

甥や姪のいとこ達も接触はほとんどありません。

伯父の兄弟である私の母や弟はすでに他界。

伯父に何かあると兄弟の母や弟がお世話やあれこれをしていたのですが、他界してしまった今は、伯父が入所時の保証人やら緊急時の連絡先を誰にするかとか・・・。伯父は親ではないので甥や姪はもちろん誰一人挙手はなし。

そして甥や姪にあたる私たちはすでに家庭を持っているのでお世話は自分の家族で精一杯!

子どもも学生なのであれこれとお金がかかる時期、共働き、労を費やすのならば自分の子どもに費やしたいの正直なところ。

 皆が親の介護も経験し、大変さを分かっているからこそ、情だけでは引き受けられない現実を皆が知っています。

きっとお金をもらっても。

そして親だから出来る介護も伯父となるとまた違うのも悲しいけれど現実です。

 

切ない現実ですが、初めこそ「付き合いないし・・・」と渋っていたいとこ達。しかし同じ立場の私が一人で負担するのもこれまた話は違う。

我が家は伯父宅から家が近くて子どもは一人っ子。しかも車はある。実際にこまめに動けるのは私のようですが、欲しくとももう一人子どもを作れなかったのも事実ですし(母の介護で)比較的家が近いというだけで任されるのも違います。

なら引っ越ししちゃうぞ。

でも、私としても仲が良い大好きないとこ達ですし、なかなか言いづらい。やっぱり伯父もかわいそう。伯父のあれこれを一人で頑張っていたところ、伯父の弟のお嫁さんが手伝ってくれはじめ、それから長男の受験が済んだいとこの一人が手伝ってくれることに[ぴかぴか(新しい)][わーい(嬉しい顔)]

伯父は認知も進み内臓疾患もあり特養に入所。一人暮らしの家も退去。

もちろん引っ越しは親戚総動員。そんなこんなを3月から始め、やっと5月で終わりました。

 

本当に大変でした。

 分かったことは、私もそうですがどんなにかわいそうな伯父でも、どんなにお金を積まれてもやはり親ではないんですね。

もちろん全く積まれていませんが・・・。

何をするにもなかなか気がすすまない。施設からの呼び出しも渋々です。

そんな風に甥や姪に思われている伯父が不憫なのですが、作れるのに子どもを作ることをしなかった伯父、なにしろ自由に生きてきた伯父をお世話しようとする気にならない甥や姪。

それを分かっている伯父。なるべく世話になりたくない。でもそうもいっていられない年齢。 兄弟は他界し、まさかこのような人生になるとは思っていなかったでしょう。

役所やヘルパーさん達が出来ることは限界があり、様々な決定権は身内です。

 

高齢化社会がすでに始まり、最近では結婚をしない、子どもを作らない選択も自由ですが伯父の晩年を目の当たりにすると一人では生きていけない、自分が元気な時には高齢の自分は想像出来ないものなんだなと。

  そんな風に思ってしまいます。

 歩行も困難になってきた伯父。

近いうちに連れ出して大好きなお寿司に連れていってあげようと計画中です。晩年の親と過ごしたことまでは出来ませんが、いとこ達と一緒なら車いすの移動も楽ですし気持ちも楽です。

と、6月に入り父方のこれまた子どものいない父方の伯父から連絡。配偶者が痴呆気味で介護認定を受けたと。

え~ん[もうやだ~(悲しい顔)] もう勘弁して~私の人生介護じゃないのに・・・。頼られてもちっとも嬉しくないのが本音です。


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感無量 [介護]

以前に私の伯父(実母の兄)の悪口を書いたのですが[あせあせ(飛び散る汗)]その後の通院に伴う心労は相当なものでした。

すでに配偶者はおらず子どもがいない高齢の伯父。

骨折をし血縁の近い親戚を飛び越え、住まいが近いということで姪の私が伯父の身の周りのあれこれをするようになっていました。

退院後は痴呆の症状もあり、物忘れ、紛失、判断、理解力が衰え、約束や時間も忘れる、些細な事で怒りっぽい、意欲がなくなる等で、とにかくひとつの事を進めるのに時間がかかり注意を払います。

江戸っ子、東京生まれの都会育ちの伯父はプライドも高く、よく言えば「粋」悪く言うと「面倒」・・・。

本来、情は深くいい人だけど口も悪く、せっかち。

思い通りにいかないとストレスを私にもぶつけるようにもなってきて私も気持ちの上で「親でもないのに!!」と感情的になりそうです。

痴呆老人を相手に様々な出費も請求しづらく、定期的な病院の付き添いも気が重かったのですが、どうしたら平和に物事を進めていけるか悩んだものでした。

そして一番気を使ったのは「高齢者を相手にする会話」。

 大きな声でゆっくり話し、語尾を上げて伸ばすように話す(優しく聞こえるようです)、そして絶対に否定はせず、いきなり本題に入らない。

これはとても効きました。

怒鳴ったりは伯父の人格ではなく病気がそうさせていることと自分に言い聞かせる。

辛いのは伯父なのだ。

 

薬は飲まない、大事な書類も捨ててしまい私も何度役所や病院へ足を運んだものか・・・。

 

そんなこんなで今日の診察で一応定期的な通院は終了。

「おじさ~ん!!お疲れ様で~す!今日で通院はおしまいだよ~」

 仏頂面の伯父も待ち時間は相当だったよう。

「ありがとね」と、やっと微笑む伯父。

思い返すとこの半年、私任せにしていた親戚とも話し合い、ヘルパーさんの愚痴を聞き、完全燃焼で涙が出そうだ。

 

夕方も近く、夕陽が入り込む人もまばらになった病院のエントランスで二人で紙コップの熱い珈琲を無言で飲む。

 

 外出もままならない伯父が、病院へ行った時は車で連れ出し一緒に外食をします。

伯父はそれが楽しみだったようで、散々だった私も「また、電話するから一緒にご飯食べに行こうね~!」と言うと「ああ」と、悪い気はしていない様子。

 伯父の介護やあれこれは姪の私にとって義務ではないし、お金をもらっているわけでもナシ。

でも・・・。

他界した実母が心配していた伯父のことを思うと、私が妥当なところなのかしら?とも。

親戚を飛び越え依存されてしまうのは「所帯持ち」の私も困ってしまいますが、出来る範囲で無理せずやっていこうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 


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寝込んで思う事 [介護]

ここ数日ダウンしていました[バッド(下向き矢印)]

風邪診断だったのですが喉は痛いし今思えば大人の「溶連菌」だった気がします。かかっていた人近くにいましたし。

 

そう、何も出来ないのです。本当に。

気持ちはあっても目の前の本でさえ開く気力がない、TVは観ることが出来ても座っているのもつらい。

もちろん食欲もなく・・・。ただ白湯だけは飲んでいました。

 

 何度起きてもすぐに寝ることも出来、しかし寝ることにも飽きてしまい携帯でネットでも[ひらめき]と思っても操作することが出来ない。

こういう時に思い出すのは母の事。

晩年は寝返りを打つことも出来なくなってしまったのですが母はずっとこんな気持ちだったのかなと。

当時は何をしてあげればいいのか本当に悩みました。

 

よく高齢者に歌のコンサートや老人ホームに幼稚園児を連れて遊びに行ったりという光景も見たことがあるのですが、それはある程度元気な方なら有効でしょう。

重症ですとそれさえもおっくうな気もします。

しかも母は歌のコンサートより私が話す身内や知り合いの悪口のほうが苦笑しながらケラケラ笑うのです。

いつも悪者になってくれたのは伯父なのですが「あのジジイより先に死んだら恨むからね~っ[むかっ(怒り)][exclamation]」なんて毒舌のほうが大笑い[わーい(嬉しい顔)]

 

 

食事を作れない私に、夫がスーパーで総菜を買ってきてくれるものの「揚げ物は・・・こういう時は向かないと思うよ[バッド(下向き矢印)]」と好意を無駄にする発言。

ムスメも「ママがかわいそうだからお手伝いしてるんだよ[黒ハート]」なんて自己満足で良い気分なよう。

そう病気というものは気持ちでさえひねくれるのです。

感謝の気持ちを述べるものの、実は感謝よりとにかくつらい、楽になりたい、出来ればこの暇さに「読み聞かせ」でもしてほしい。なんて。

 

そうそう、母も寝たきりの時はi-potで若い頃に聴いていた大好きな曲や、レンタル店で綾小路きみまろのライブの大全集をCDで借りてきたり。

 何をしても反応がなく、楽しみは食事くらいだったから「声をあげて笑っていた」時は心の底からきみまろに感謝したものです。

自分がここまで体調を崩すと母の気持ちもなんとなくわかるものです。

 

病気の時にテンションが違うのはうっとおしいけど、そばに人がいないと心細い。

 母の晩年の頃、イヤホンでさえつけるのが嫌がった時は、本を読んだりその病気に打ち勝った人達の体験談が掲載されている小冊子などを枕元で読んでいました。

嫌な仕草はしていなかったので継続していましたが、今思えば良かったのか悪かったのか・・・。

読み聞かせをするとそのうちスヤスヤ眠ってしまうので良かったのかなとも。

 

と、今回の数十年ぶりの私のダウンによって色々と思い出されることが多く、いちいち母の気持ちになり思い返しながら疑似体験するのでした。

 


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なんかうれしい [介護]

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先日、夫と一緒に働く同僚で、夫がとても信頼している夫より年上の大ベテランの女性から
 
こんなにすばらしいバラが届きました。
 
 
 
 
その方は中元、歳暮というワケでもなく、旅行へ行った際に土地の特産物や美味しい物を見つけた時に
 
いつも気軽に送って頂いたりしていました。
 
 
[かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい]
 
 

数年前から私のブログを読んでくれているブロ友さん方は薄々気がついておいでだと思いますが、
 
実母が他界して一年になりました。
 
 
一年が経ち、やっとブログに書けるまでの気持ちになりました。
 
 
3年位前から一気に体調を崩し余命も宣告されつつも、小さな娘を抱え
 
そして母の壮絶介護生活が始まりました。
 
 
 
透析は週に3日、ムスメが入園してからは、園へ行く支度をしたらヘルパーさんに来て頂き
 
一緒に歩行困難の母を抱きかかえ車に乗車します。

 

 
 
透析病院の送迎車は、母の動脈瘤が破裂するのを恐れ送迎拒否していたので、私が送迎することに。
 
母を送ったあとはムスメの園の送迎です。
 
 
 
気持ちの整理もつかないままに母の現状を受け入れなければならないのがとても辛く、
 
その一年前までは私:「明日○○へ行かない?」母:「いいね!何時に来る?」なんて
 
当たり前に会話していたことでさえ出来ないことの寂しさと悔しさと空虚感。
 
 
 
「神の手」「スーパードクター」と呼ばれる医師を訪ねては母を連れ回す数年。
 
 
排泄もままならない母。私だけではなく母と二人で本当に頑張りました。
 
 

あまりに壮絶だった介護に、私自身が体も心もボロボロになり、いっそのこと母と一緒に死んでしまおうか
 
という気持ちにまで及びます。
 
しかし小さい娘と理解のある夫のおかげでなんとか頑張れた数年。
 
 
 
父が他界した時は私が若かったせいか、ろくに話しもせず、親孝行も出来ず、お世話が出来たのが他界する2週間前だけ。
 
そんなこともあったので母の時は「絶対に後悔したくない」という気持ちでした。
 
 
 
「神の手」だろうが「評判が良い」だろうが、確実に成功する手術でなければ消極的な医師達。
 
 余命3ヶ月~。

 

悔しくて一人で泣きながら「医者が治せないなら私が治してやる!」と心に決め
 
食事療法、分厚い食品成分表の本を片手に母と一緒に頑張り余命を3年伸ばすことが出来ました。

腎臓病は食事制限が本当にタイトで、塩も2g入りの薬のような個包装のものを使用したり、水分は1日の量が決まっているので、かなり慎重になります。

可哀想に思って、うっかりこの制限を破ると本当にとんでもない事態になるのです。

こんな世界があるものなんだと、自分が健康でいられている事を感謝しつつも面白いことに慣れると平気になるものです。

 

   
母が歩くときは私と向き合い母を抱きかかえて一緒に歩くのですが、こんな大人になってから母と抱き合うことは
 
母が介護状態でなければ出来なかったこと。
 
息を合わせ「いちに、いちに」。
 
「すご~い!今日はこんなに歩けたよ~!」と二人で大喜びし、30代と60代の会話じゃないことに
 
二人で笑ってあきれてしまったり。

 
 
 
 
以前娘の子守をしてくれた母は、今度は3才のムスメが訪問看護師さん達の指示に従い、母のお世話を
 
手伝ってくれ(タオルを持ってきて!等)常に温かい笑いもありました。
 
 
 
私自身の外出は基本的に母の透析時間の時だけなので、亡くなってからはムスメの園行事に積極的に
 
参加したり、やっと園のお母さんたちとの交流、家族3人で今までの分を取り戻すかのように出かけました。
 
先日、喪が明けたので数年行けなかった旅行へも来年予定しています。
 
 
 
 
長くなりましたが、先日一周忌の法要を無事に済ませ一安心。
 
まだ寂しさを埋める為にも予定をたくさん組み込み「さて、がんばるか」なんて思っていたところに
 
こんなにすばらしいバラが届きました。
 
 
その会社の方は私の事情を知らずとも、私は勝手に「これまでの大変さをねぎらってくれたように」
 
バラが手元に届きましたので「なんかうれしいな」と。
 
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午前中の明るい温かい日差しの中でなんだか晴々したような気持ちで
 
大きな花瓶に入れ替えたのでした。
 
 
 
そういえば、その方のお母様もたしか私の母が亡くなる1年前に喪中はがきで他界されたことを思い出しました。
 
 
まだ会ったこともない方と勝手に通ずるものがあることをおこがましくも感じつつ。
 
 
誰もが通る道だけど、その方もきっと私と同じ寂しさと辛さを味わい温かかった母を思い出すのかなと思うのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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